野田聖子議員の手記を読んで
おはようございます!
先週当ブログでも取り上げましたが、国会議員の野田聖子さんの卵子提供による妊娠がいろんなところで話題になっていますね。
週刊新潮にご自身が書かれた手記を拝見し、いろいろ思うところがありました。
手記の中では、とても率直にご自身の受けてきた不妊治療における体験について、また子どもを持ちたいという強い思い、そして日本の不妊治療のあり方についてのお考えを綴っておられます。何よりも私が感銘を受けたのは、現職の議員である野田さんが、批判も覚悟の上で、「卵子提供」という、まだまだ日本では認知度の低い方法でお子さんを授かったことを公表したことです。
2004年に出された手記「私は産みたい」の中でも、国会議員としての超多忙な毎日のなか、なんとか時間を作って不妊治療を受け、妊娠まで到るものの、流産してしまい、「国会議員としての仕事を優先したことがおなかの赤ちゃんを失った原因ではないか」、とご自身を責める様子を赤裸々に書かれています。当時の夫との不妊治療をめぐる意見の違いや、不妊治療というものにおよそ理解のない、究極の男社会である国会で働く女性議員が人知れず不妊治療を受けることの難しさも告白されています。
そして何よりも、一人の女性として、「家族を持ちたい」「母親になりたい」という強い思いを、「タフな女性代議士」というイメージを脱ぎ捨てて、正直に告白されていることに、心を動かされます。
今回の野田さんの発表には、いろいろな意見が交わされています。野田さんは、「いろんな意見があって当然」と、議論の活発化を望む発言もされています。ご自身が自ら「卵子提供」という方法で妊娠したことを公表することで、日本の生殖医療のあり方に一石を投じたようにも見えます。
野田さんは、「実際には、卵子提供や代理出産といった手段で子どもを授かっているひとがいるにもかかわらず、日本の法整備はいまだ追いついていない」とその手記の中で書かれています。養子も考えたけれど、年齢上の制約、母親が働いていることに対する制約があり、養子は断念せざるを得なかったという事実があったことも。また、体外受精に関しては、「宝くじに当たるような悲壮な願いを抱きつつ、何度やっても成功しない体外受精を繰り返すことがいいのか。肉体的、精神的、経済的にも、体外受精を繰り返すことの方が負担が大きい場合もある」との心情も吐露されています。
生殖医療と法制度のあり方については、さまざまな意見があることとは思いますが、硬直した思考で安易な法規制を設けるのではなく、現実にほかの方法で子どもを持つことができない患者たちが子どもを持つための選択肢を排除するようなことは、絶対にあってはならない、と、私どもは切に願っております。