代理出産の是非の前に  – 報道された親子から –

こんにちは!
先日の代理出産を行った親子の会見から、ネット上ではこの親子に対して多くの議論を呼んでおります。
その中には批判も少なくなく、ただただこの親子を悪く書く方もおられます。

そのような批判文を読んでいると、日本はいったいどうしてしまったのだろう?と、とても心配になってしまします。
いつの間に、同じ日本人をもただ憎み、批判する人がこの国に増えたのだろうと。
文章の中には、相手の感情など考えず、自己中心的に書かれている方も少なくありません。

ricky-turrell-baby-photography-family-with-baby-400w

この親子が長年とても苦しまれたということは想像できないのでしょうか?
命の危険も承知で母親が代理出産を行いました。
この娘さんも自分が産めるものなら、そちらを選択しています。
そして何より、彼女達の公の場に出る勇気に対してどうして敬意を払うことができないのでしょうか?
どれほど公の場に出ることに勇気がいったことか。
「まねして下さい!」、と言われたら、何人がこのような勇気のある行動をとれるでしょうか?
そしてこの親子愛。
どれほどの親子がここまで信頼し合って、支え合っているでしょうか?

まずそのような敬意を表すべきではないでしょうか?
彼女達は、同じように苦しむ親子や社会のために行ったのですから。
このままでは、この国は社会の事を考え主張しても、批判され損になります。
マスコミはもっと勇気のある方々をかばってあげなくてはいけません。

諏訪クリニックの院長も同じです。
彼は現在の日本の閉鎖的な医療では救えない患者を救おうとしています。
そのため、産婦人科学会からも追放されました。
ほとんどの医者は追放されたり、社会的立場を不利にすることを恐れ、保身し患者は二の次です。
諏訪クリニックの院長だけは、自分の立場など捨てて、患者のために行動しているのです。
それなのに、どうしてこの院長のことをただただ悪く書けるのでしょうか?
私には自分の保身ばかり考えている医者や、そのような医者ばかりを作った日本の閉鎖的な医療組織の方がよほど恐ろしいです。

何度も書いていますが、代理出産には肯定的な意見も、否定的な意見も見ることができ、それは自然な流れであると思います。
というのも、代理出産も臓器移植などと同様、完全たる解決策などなく、モラルを意識して実行しなければ、悪い流れにもなるからです。

私が問題にしているのは、まず情報や知識ががない中で、一方的に代理母が不幸だとか、養子をもらえば良いのにという無責任な発言が多いことです。

「人の子宮を借りるぐらいなら、養子をもらえば良いのに」という意見も幾つかありました。
この意見はとても浅はかで、実際に病気で子供が持てず苦しんでいる方々の気持ちを知ろうとはされていません。
養子を引き受けるのも選択肢。しかし、最新の不妊技術である代理出産のことを考える選択肢もあって良いのではないでしょうか?
それを第三者が、「子供ができないなら養子をもらえ」という意見は、その方こそ人権を無視していると思うのです。
人それぞれ異なるのですから、決まった方法などなく、それぞれでベストな選択をすることが大切なのです。

人が人として優しく賢く生きるには、想像力が必要です。
人はそれぞれ、多くの障害や不幸を背負う場合もあり、自分がそれを背負っていなくとも、相手がどのような気持ちなのか想像したり、話す機会を持ったりすることが大切だと思います。

それがないと、、鹿児島県阿久根市の竹原信一市長のように、自身のブログで「高度医療が障害者を生き残らせている」などと障害者の出生を否定するような記述するのです。
言われた立場(高度医療を伴う障害者や家族)のことは何一つ考えず、自分中心(又は健常者のみだけ)に考えるから、このような発言が出るのです。

代理出産も同様、一方的な側面だけ見て無責任に語るより、それぞれの立場を考え、想像してから、発言することが望ましく思われます。

記事が良いと思われましたら是非クリックをにほんブログ村 マタニティーブログ 海外不妊治療へ

Copyright:©  2009 MediBridge Inc. All Rights Reserved