医療コーディネーターになった理由 (Part 1)

不妊医療のコーディネーターとして、毎日日記を書いている私ですが、今日はいつもと趣向が異なり、私自身について少しお話ししたいと思います。
医療関連の記事ではなく、私事で恐縮ですが、たまには自身のことを伝えた方が良いのかもと思いましたので、期待せずに読んでもらえればと思います。

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まず小さかったころの私。
その時私はとても病弱で、難病にかかっていました。
紫斑病という病気です。
ですから、毎週遠くの大学病院までおばあちゃんと通う日々が続いていました。
そのため、幼かった頃から治療というものがとても身近で、人の病や苦しみに関しても身近に感じていた気がします。

そういう私ですが大きくなると世界中のあちこちへ旅立ち、各地域コミュニティーに溶け込み生きてきました。
カリブ海やインドやアフリカなどを訪れ、仕事をし、途上国の人々の生活を身を持って体験しました。
英国やフランスやアメリカ、カナダなどで仕事や勉学に励みもしました。
またアジア各国に対して自分の祖国のように愛着が持て、タイ、韓国、マレーシア、ブルネイ、インドネシア、中国、フィリピン、ベトナム、ドバイ、カンボジア、シンガポールなどなど何度も何度も旅に出て、多くの人々と出合ってきました。

そういう人生を送っている間に、とても強い思いが現れていました。
それは自分の国である日本の人々と海外の人々に対して、医療を通じて、幸せのお手伝いが出来ないかということです。

日本だから諦めなければならない。
海外では存在するのに受けられない治療のため、苦しまれている人々が多くおられます。
また海外において、更なる就労の確保は何よりも現地の人々が望むものです。
この両方が実現出きればと、現在医療コーディネーターとして勤めております。

また時を見て、続きを書いていきたいと思います。

 

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